人生の本番はこれからだろ?

やっと70歳になった。少し人生の何たるたるかが見え始めた。本番はこれからだよ。

酔詩独言

   

                  寄る辺なきおのが正体冬の雨

 

                   猫の居る場所に暖あり春の朝

死以外にゴールなどない人生だけれど    そんな重たいテーマは神棚に祭りあげておけばいいさ

死なんか忘れるがいい    さすればこの世は誤解を恐れずに言うけれど とても面白く笑ってしまいたくなるぜ

なんとこの世は感謝に満ち満ちていることよ        皮肉でも負け惜しみでもない

この世は昔人的に言えばまことにありがたき世なり       ぼくを取り巻くすべての存在に ありがとうありがとうとお礼を言いたい

それもこれも生きていればこそ       だから僕は思うんだ

ぼくら一人一人はすべて神なんじゃないのだろうかって

 仙台の片田舎の古びた家が終の棲家として     ぼくを包み込んでくれている家にしてからがとてもやさしい

そこで安心しているぼくは静かに呼吸している自分を感じて又感謝する

こんな僕を大切にしてくれる同時に存在するすべてのこの世のあり方とそれを構成する同胞に再び三度感謝する

ここまで生かされてきたことにあなたは感謝しますか?なんて 自分だけしかまともに感謝していないとでも言っているような

そんなのって寂しすぎるだろ

ぼくだってたまには反省したい     先に逝った人は誰もかれもが今は懐かしい 

でも人間は神だから いつでもだれにでも会えるのだよ

もうこうしてかいていることすらぼくじゃなくてすこし酔った神様のいたずらかもしれない

ゆっくりと体を横たえて目をつむったら ひとまずは死を通過してみるのもいいんじゃない?

意識が織りなす生もまぼろしなら死もまぼろしかな

雪が解けて空気も和らいできた      もうすぐ春になる        春は生にどんよくだね

そしてさあまた生きるぞなんて気にさせる      そうなんですそれって春を待ち焦がれている草花たちの声といっしょです

「今」は過去現在そして未来のすべてがつまっているし        それらを集約して百%表現している場です

だとしたら「今」は全身全霊を傾ける時である

 そこにしか人生の妙味も喜びも手ごたえもない

くどいようだが「今」にこそすべてのチャンスがあると言って若い人たちの奮起を促したい

 

色即是空     空即是色

なんのことはない    お釈迦様もぼくらと同じことをおもっていたんだ

 

 生きてもなんの甲斐もないなと思う時はしばしばある       しかし、これは戦闘モードに切り替えようというサインでもある

すまん、この歳になるとすべてがちぐはぐなのである でも許せ、     なんとか精一杯生きようという気持ちだけは解せよ

いや、解してくれなくても良きなり

こうして書いているぼくの右の耳の方からは、     バッハの無伴奏チェロが流れているのは、    ぼくとあまりのミスマッチゆえに感謝なり

この曲は、人間の暗い情念を鎮めようとしているのか、それとも燃え盛らせようとしているのだろうか、

せせこましいほどに変化するチェロの表情は今生きている老人に何を伝えようとしているのだろうか

そんなことはどうでもいいのだろう  

まずは体感することだろう       チェロという楽器が音を介してぼくの心身を叩く作用だとしたら

、当然ながらぼくの内なる反作用をいやでも期待する 

ひょっとすると、この曲はぼくの臍下丹田あたりを叩いてくれているのかもしれない      ならばそれに順じよう。

現世の人間世界に真の聖者はいないものか

中途半端な悪魔や金に魂を売った穢れきった自称イルミナティなる気違いじみた少数集団にもはやこの世を任せてはおけない

やさしいわれら日本人には想像すらできないことを彼等はあたりまえのようにやってくるのだ、ということをどうか知ってもらいたいものだ

同じ人間だが、とてつもない冷血動物である人間がいるということを、

残念ながらいい子ぶってる「善良な」部類に入りたがる日本人は正視しようとしないんだな

 

思いはあちこちに飛ぶ それもよしとしたい

そうなのです       戦争するしか能のないアーリア人種が牛耳っている世界だけれど、

ぼくは仙台の片田舎で終の棲家にやさしく包まれながら日々をこよなく慈しんでいる。

生き物なのだから明日の朝にはこと切れて死体となって横たわっていてもいいではないか。

人生に感謝、

人生に万歳。

 

 

吉川英治の「私本太平記」第1巻を読み終えた。なかなか面白い。