人生とは 「生きがいの探求」より
どんなつらい環境にあっても、これを切り抜けようと努力を続けるところに人生はある。
いたずら他をうらみ、世を呪ってはならない。
何かに向かって働くの人生だ。
貧窮になってみて、初めて、貧乏のどれほどつらいものであるかがわかる。
病気になってみて初めて、病人の気持ちが了解できる。
そして、ついには何かを悟ることが出来たら、人生は成功だ。
悟っただけの世界へ、死後は、はこばれるのだ。
ある与えられた道筋より外へは出られないのである
。しかし、その道筋というのは、けっして、最初から一定不変の絶対的なものではなく、その方は絶対的であっても、
その長短や道幅は、人間の努力一つで、どんなにでもなるものである。
どうしても、情を主とし、親しみを先にしてからでなくては、しっくりとゆくものではない。
頭の生活は行き詰る。腹の生活でなくてはならない。
人間の全霊的活動の時機は実に短い。
キリストでもわずか三年足らず、釈迦、孔子にしても真にその活躍期に達したのはずっと晩年である。
それまでは、すべて準備期であり、それ以後は日没後の光輝である。
温度は同じでも、、、
温度は同じでも、、、
http://ameblo.jp/mademoiselle-ai/entry-11850959358
昔、五右衛門風呂はけっこう田舎の家にはあったものだ。私も親類の家にあった五右衛門風呂で体を温めたことがある。
マキの直火で温めるお風呂のお湯は、やわらかく体と心になじむ。
電気ポットでわかした湯よりも、まだガスの火に当てた湯の方が痛くない、、熱さに刺激がない。
ガスよりもマキで炊いた湯はなを一層柔らかな味になる。いろりの炭火でわかした湯も同様に柔らかな味だ。
その違いは誰にだってわかる。よっぽど感受性がいかれてしまった人以外、すぐにおいしい湯だとわかるものだ。
しかし、科学的には、その湯が85度なら85度の湯でしかない。まったく同じ。
マキで沸かした湯は遠赤外線での加熱なので、おいしくなるというようなもっともらしい説明を最近はするようになったが、基本原理は数値が重要で、それ以外の要素はおまけにすぎない。
私は電子レンジで温めた料理が嫌いだが、あまり多くの人は気づかない。食べ物の醒め方が不自然なのですぐにわかる。
イノチが喜ぶ熱と喜ばない熱が実際にはあるのだと思う。
音も同じである。周波数が同じでも音量が同じでも、違った音になる。コンサートで生で聞く音とCDで聞く音との違いというと分かると思うが、最近ではコンサートでも結局は電子音であり、ボリュームを変えてコンサート仕上げにしているに過ぎない。
その点、ミニコンサートや小さな会場や部屋での音は、生の音そのもの。本当のコンサートとはそういうものだろう。
結局、人間には微細な違いを感じ取る能力があり、それは気のせいなどというレベルのものではなく、大きな違いとして本当は存在する。
その違いを一言で言うと、吸引サイクルの火なのか、放出サイクルの火なのかの違いであり、吸引サイクルの音なのか、放出サイクルの音なのかの違いでもある。
放出サイクルの音をうまくあやつれば、それこそ人を病気にさせることも殺すこともできるのだろう。そっちの研究は例によって非常に進んでいると思う。人を不幸にさせる研究だけは、本気でやってきている。
反対に人を幸福にする研究は、成果が上がるたびに闇に葬り去られ、それでも地球は動くと目立てば、大体は殺されてきた。
要するに本気で人を不幸にさせることで経済をすすめ、収奪を考えているのが、現在の地上であり本当の姿である。
何でこんなに自然を壊そうとするのか、、何でこんなに不快な音で世界を埋めようとしているのか、何で体に悪い食料ばかりしか流通させないのか、何で勉強すればするほど正確がねじ曲がる教育しかないのか、、、それが目的だからなのでしょう。
要するに、不幸になれば不安から金を使う、、不安から国に頼る、、不安から嘘を信じる、、不安から何も見えない人間をつくれる、、
そうすれば、一部の人だけで人類を支配することができるようになる。実際にそうなっていますね。
原発の後始末もできない東電がまだ偉そうに君臨できているのか、本当に不思議でならないが、人を不幸にするのが目的ならば、まさにうってつけということになる。
金融のわからないバカにやらせておけば、バカなりの理論を持って景気が悪くなる真逆の政策を本気でやってくれる。
おどかせば、すぐに自分の健康が心配になり、対策の中に死のプログラムを入れ込んでおけば誰もがそれに飛びつく、、、
そんな簡単な嘘も食品添加物のオンパレードで理解力を失わせておけば、大丈夫。一握りの気付いた人たちのことは、むしろおかしな人々と思わせられるだろうと、、
そして何もかも知っている自分たちは、もちろんワクチンなど死んでも打たない、、オバマの娘はワクチンを打ったかと議会で質問されて、ノーとオバマは答えましたよね。そんなことは当たり前。
人工甘味料のデザートなど、絶対に絶対に一回もきっと食べたことないでしょうし、病気になったら医者に行くのかしら。行くわけないよね。あそこは病気を治すところではないから、、、と知っている。
大体病気になどならないのでは、、体に悪いことなど決してしないし、普通の病院になど、死んでもいきっこないから。
歯磨きは何つかってるのかな、、、市販の歯磨きしかなかったら、どうするのかな。絶対に磨かないよね。塩があればいいし、オリーブオイルでもいいし、重曹でもいいか。
エイズです、、、と上の人が言われたらどうすのかしら。ガンです、、と上の人が言われたらどうするのかしら。答え。笑って何もしない、、だったりして。まさか、そんなことはないとおもうけど。
一応冗談ですが、それくらい、おかしなことが実は起きているのに、多くの人がまだ気づかない。そんなばかな、、、そんな悪い人はいない、、、と。
戦争はでは何ですか。人殺しで金儲けする上が、何でそんなに親切なの。そんなわけないでしょ。悪事は見られたら、知られたら終わり。だから隠してやるわけでしょ。みんながまさか、、と思ってくれるから悪いことってできるんだよね。
しかし地球をここまで放出サイクルに導いてしまうと、自分たちも実はおかしくなるはず。この点については、きっとあまりまだわかってない気がします。
人類に与えているもののほぼすべてが心と体に悪いものだとはもちろん知っているでしょうが、そのほんとうの原理は通常の上にはきっとわかっていないのではないかという気がする。
上に行けばいくほど、放出サイクルのものでもなぜか気がつかない体質があるのかも。権力や金に目がくらむと、イノチのありようが見えてこなくなるような。
なので、イノチを活性化させる本当の原因がきっとつかめなくなっている気がします。
吸引サイクルの熱があり、吸引サイクルの味があり、吸引サイクルの音がこの世にはあるのです。
何度も言いますが、私は塩酸に指を突っ込まされてもやけどひとつ負いませんでした。吸引化されたエネルギーに満ちた塩酸は、塩酸の性質を持ちながら無害化されていたのです。
同じ熱でも吸引の熱と放出の熱があるのです。同じ80度の熱いお茶でも、おいしいお茶と、あちっと痛い熱の80があるのです。イノチを育てるのは吸引の80°であり、イノチを痛めるのは放出の80度の湯なのです。
その違いが大きいのですが、同じ80度で人類は見てしまう。こんな悪辣な悪意と悪辣な環境の中で人がなぜまだ生きているのかが、おそらく上の悪人たちには不思議に思っていることでしょう。
野郎たち、なんでまだくたばらないんだ、、、と。その理由は知らないうちに吸引サイクルのものに接し、かろうじて救われているからに他ならないのです。
インスタント食品のみを食べていたら、大体は体を壊すはずなのですが、実は意外に大丈夫な人もいる。その理由は、インスタント食品が自分の食事になっているからです。
いただきます、、、と手が合わさった意識が味を変えているかもしれないし、ちょっとひと刻みのねぎを添えることで、猛毒インスタント食品を自分の料理に変えてしまっているのかもしれない。
最強は意識ですから、意識を添えて無害化が起きている。放出サイクルの食べ物を、その人の感謝や暖かな意識を通すことで、吸引化している可能性が高い。
なので、あんなに毒をたべさせても、あんなに毒の空気を吸わせても、あんなに有害な周波数を与えてても、まだあいつら生きているのか、、という現象が生じている。
しかし、そこまで来ていると思いますよ。この世の悪魔化はけっこう進んでいると思う。福島を見ればすぐにわかることです。戦争を起こしたい人に同調しようとするマスコミを見れば、本当に悲しくなりますが、彼らは本気で魂売ってますね。
悪の計画通りにいかない裏には、吸引システムがあるからです。イノチはそれでしか支えられません。
この世には本当の意味では毒も悪もなく、そうした問題はすべてエネルギー不足から起きているのです。毒物にも放射能にも、エネルギーを注げば、必ず、何か他のものに変化していき、ただし、化学式は変化しませんが、毒でないものになるのです。
地球も人類もエネルギー不足の状態です。それをただすには、エネルギーを吸引するしかない。悪も上の方になると、一切崩壊エネルギーをとらない環境にあるでしょうから、もしかしたら、数代目の優しい人などは吸引化がすすみ、悪もエネルギー不足症状が基本にあるため、逆転が起きている可能性がある。悪の親玉系列の中に、素晴らしい吸引化が生んだ素晴らしい人が誕生している可能性はあります。まあ、期待したいところです。
ところで目に見えるエネルギーに頼った現象はすべて崩壊型となります。声で言えば、使う呼吸よりも出る音がおおきければ、吸引サイクルの音になります。
ろうそくを口の前に置き、あーならアー、、と、ろうそくの火がゆれない形で音を長く続けられれば、それは音を出すエネルギーよりも大きなものとなり、吸引サイクルが働きます。まさに披講はその方法で練習するのですが、吸引サイクルの人を癒し、エネルギーを与えることができる音になっているのです。
その凄いものが、今度作った、ソルフェジオ音叉箱ですが、扱い方を間違えるとけっこう怖いです。
音のエネルギーの凄さは本質であり、食糧や水にすぐに影響を与えることができます。
どうせ添加物だらけの毒をたべさせられてるんだろうな、、、といやになった際には、チューナーを当ててもいいですが、なければ、手でメガホンをつくり、食事の方に向け、ろうそくをゆらさないような形でオーでもイーでもいいので、息が続くまで、発声してみてください。母音しか長い発声はできません。
きっと味が変わります。それがわかると思います。そうなると食事は吸引化している可能性が高くなります。体にきっと良いものに変わっていることでしょう。
そんなバカな、、とお思いでしょうが、意識は無質量です。そこからしか本当のエネルギーがやってこないことさえ理解すれば、不思議でも何でもなく、進んだUFOもこうした原理できっと自由に浮かんでいるのだと思います。宇宙人さん、違っていたら教えてくださいね。
韓国の船長と日本人の魂
http://takedanet.com/2014/05/post_0ab8.html
「anzenkiken20140515751.mp3」をダウンロード
韓国の大型客船が沈没し多くの若い人が亡くなった。胸の痛む事故である。この事故では、本来乗客を助けるべき人たち(船長や船員)はごく一部の犠牲的な人を除いて多くは乗客を残して海洋警察に助けられた。このことについて、殺人罪を含む罪状で裁判が行われる気配である。
テレビを見ているとアナウンサーも有識者もこぞって韓国の船長や船員の行動を批判しているし、中には日本の戦争の時の艦長は船とともに命を捨てたと言っていた。
しかし、本当だろうか? もしかすると日本もかつては魂のある国民だったかも知れないが、今もそうだろうか?
福島原発が2011年3月12日に爆発してほどなく、福島県に行っていた大手テレビ、全国紙の新聞の記者は一斉に福島から引き揚げた。
事故が起こってから半年ほどたった時に、私は四大誌の一つの新聞の記者のインタビューを受けた。場所は東京駅に近いホテルのレストランで、彼は椅子に座るとほどなくして「先生、私は人生で一番つらい思いをしました」と言い始めた。よほど胸につかえていたのだろう。
「事故直後、私は福島にいたのですが、退避命令を受けて福島からでました。それから3か月たって、また福島の取材を命じられ、防護服を着て線量計を持ち、福島に入りました。・・・・
そうしたら、そこに普通の服装で普通に生活し、線量率も測っていない人たちがいるのです。聞いたら「テレビが安全と言っているから」と言いました。恥ずかしくなって、人生でこんなにつらい気持ちになったのは初めてです。
その人たちは私たちが「安全だ」という言葉を信じて、そこにいたのですが、「安全だ」といった私たちは「危険だ」ということで退避したのです。こんなマスコミで良いはずはありません。・・・・」
やがて取材が始まったが、彼の苦痛にゆがんだ顔は忘れられない。自分たちが危険だと判断して逃げたのに、同時に福島の人たちに「安全だ」という放送をし、記事を書いてきた日本のマスコミ、そして現在でも当時、マスコミのどこがどの程度、福島から退避したかの報道もない。報道は自らの行動の報道をしない。
ただ、原発の映像が「30キロ地点の固定カメラ」に変わった時が、マスコミが福島から退避した時だということは確からしい。
沈む船の乗客に「安全だから、そこにいてください」と言って船から先に脱出した船員と、福島の人に「安全だから、そこにいてください」と言って福島から総員退避し、定点カメラを残した日本人・・・なにか違いがあるのだろうか?
そのNHKに受信料を払い、新聞を買うのはどういう意味だろうか? 起訴もされていない・・・
(平成26年5月15日)
人間って、だれ、、、?
http://ameblo.jp/mademoiselle-ai/より
音叉を学び、体験していくと、見える世界が本物なのか、それとも見せるようにした原因の世界が本物なのか、、その区別がわかってくる。
簡単に言うと、肉体が本当の自分なのか、、心や意識の部分が本当の自分なのか、、、ということでもある。
もっと平たく言うと、体は肉体として動いているのか、それとも、肉体に働きかけるエネルギーが動かしているのか、、、ということにもなるし、炎は物が燃えているのか、それとも物にエネルギーが注がれて燃えるような現象が起きているのか、、、でもよい。
そうして、肉体を動かしたり、物を燃やすエネルギーにせよ、それらは肉体の中や物の中にあるのか、、、というと、そうではない。
エネルギーというのは、すでに存在して形になっているものからは出ていない、、、となると、物理学の基本が変わってしまう。
目に見えないもの、、、意識はその代表各だが、エネルギーはそこからしか訪れない。
意識がエネルギーを呼び込み、この世のすべてを動かしている。自分が動いて横丁のパン屋さんへ行く動作も、意識がそうさせてエネルギーを呼び込んでいるから、連続で呼び込んでいるからパン屋に行ける、、、
動作の連続も意識からエネルギーがやってくるからできることになる。実際にパン屋へ行く、、という意識がなければ、私たちは一歩たりとも動けない。
肉体の中にはそんなエネルギーはない。肉体は常に意識を通してエネルギーを集め、存在している器官であり、無限の表現を有限の中で行っているわけだ。
何が言いたいのか、わからなくて当然だと思うが、言いたいことを一言でいえば、私たちは意識するにせよしないにせよ、実は無から訪れるエネルギーによって、生かされているということで、それは永遠の表現をするべく期待されているということになる。
なぜなら、イノチは一体で出所は同じだからである。一つのイノチから生じた無数の表現としての役割であって、大宇宙イノチ劇場の誰もが配役であり、主人公でもある。
エネルギーの大本からは無数のエネルギーが出ており、いつでも本当ならそれをキャッチできるのが私たちの存在だが、肉体ではなく意識がそれと同調するため、私たちの意識と同等のものしかエネルギーをキャッチすることはできない。
死の不安におびえる者には、肉体が自分という意識といやでも同調し、死の恐怖はいや増すことになる。
幽界の寂しさ、、恐ろしさと同調する意識が優先なら、どうしてもそうした恐ろしさに追い掛け回される。
下の意識はそんなには広くないのでちょこっと意識が変わるだけでも救われる構造をしていると思うが、上には上があり、さらに上があり、さらに上の立体があり、さらに上の立立体があるという歓喜の構造のようだ。
優れた宇宙船やUFOなどの乗り物には、おそらく操縦桿はないことだろう。意識があらゆるエネルギーの出所と知っている優れた宇宙人なら、自己意識操縦桿さえあれば宇宙船だろうが何でも飛ばせるだろうし、物質化もできるわけだと思う。
しかし、意識が高くなれば何もわざわざ物質化する必要もないわけで、「○○ちゃん、ちょっとあれを物質化して、、、」なんて言われて、「やだ、めんどくさい、、」なんて言ってるかも。
大阪に行くのに、新幹線を乗るしかない、、なんて、なんでなの、、、という具合になるのでしょう。
肉体には大きな意識の表現としての土臭い魅力は確かにあると思うでしょうが、好き好んで肉体化するのも、面倒、、、という宇宙人がきっと多いのではないでしょうか。
物体化した自然は確かにすばらしいですが、それはほうっておけさえすれば、永遠の運行を刻む、見事な宇宙意識の体現だからです。
しかし、人間だけがそれを壊すのです。金儲けとか言って自然を壊して、、本当にバカみたいなのです。
それによって自分が滅ぶことも知らず。なぜなら、自然を壊す人には、自分が意識体であるとの自覚はありません。自分が物、、肉体だと思っているから、肉体を高度に維持しようとして、物質をあてがい、物質と物質の争いを生み、滅んでいく道しかみえないのです。
そういう人たちを地球人は優秀だと言ってきたのです。あまりにあまり。王仁三郎が学問の神との戦いぞ、、というのもうなずけます。
ともかく、あなたは肉体が自分ですか、、、意識が自分ですか、、、この一点に未来の違いが出てきます。
有限の肉体意識で超えられる時代ではありません。
あさってから日月と東京でプロ養成施術セミナーです。有限の肉体意識での生体や施術では限界があります。正しいチューナーの考えを、また土橋先生が熱く語ってくれると思います。
マドモアゼル・愛 公式SHOP
ふざけるな、公明党
皇居において、天皇陛下がお辞儀する前で、お辞儀せずに仁王立ちのままの男がいる。画像
http://www.mlit.go.jp/report/interview/daijin140509.html
太田大臣会見要旨
2014年5月9日(金) 9:30 ~ 9:54
国土交通省会見室
太田昭宏 大臣
4月26日~30日にかけましてモンゴルと韓国を訪問し、政府要人と会談を行いました。
(以下、大臣の会見より抜粋)
韓国におきましては、文化体育観光部長官、国土交通部長官等と会談を行いました。
会談におきましては、日韓国交正常化50周年を契機として、観光交流拡大実行計画の策定、並びに2018年に平昌(ピョンチャン)冬季オリンピックがありますけども、この平昌(ピョンチャン)冬季及び東京オリンピック・パラリンピックに向けた日韓共同観光マーケティングの準備の開始、そして国土交通分野での共通な課題を解決するための当局間協議の推進、さらに国際機関における両国の共同歩調の強化、これらについて意見が一致したところです。
今回の出張により、インフラ整備であるとか、あるいは観光交流との面でモンゴル、そして韓国両国との間の相互理解が深まったものと考えております。
太田昭宏国土交通相は、韓国の劉震龍文化体育観光相などと会い、観光交流拡大実行計画の策定と、2018年平昌冬季オリンピックへの協力を約束した!
太田昭宏国交相は、ソウルを訪問中の記者会見でも「2018年の平昌冬季五輪に協力し、双方の観光客増加に取り組んでいく」と強調していた。
「勝手なことを言うな!」と言いたい!
韓国は敵国だ!
韓国は、日本を侵略し、多数の日本人漁民を殺傷し、日本の領土(竹島)を不法占拠し、そこに大統領までもが不法上陸し、挙げ句の果てには天皇陛下にまで土下座謝罪要求し、今もなお世界中で異常なまでの反日活動(慰安婦像、旭日旗反対など)を展開するなど、世界で最も日本に敵対している国だ。
そんな敵国との観光客増加計画策定や平昌冬季五輪への協力など売国行為以外の何ものでもない。
昨日の当ブログ記事では、韓国人の9割が「韓日両国が互いに助け合い、協力し合う関係に発展していくべき」と答えている韓国での世論調査について述べた。
しかし、「日韓の助け合い」とか「日韓協力」などというものは現実的には存在せず、それ即ち「日本から韓国への一方的な援助」=「韓国の日本への寄生」を意味する。
今回、太田昭宏国交相の韓国訪問によって、「日韓国交正常化50周年を契機として、観光交流拡大実行計画の策定、並びに平昌冬季及び東京オリンピック・パラリンピックに向けた日韓共同観光マーケティング」の合意が成されたが、特に五輪に関しては東京五輪で日本が韓国から協力される必要など全くなく、結局は日本から韓国への一方的支援となること間違いない。
5月8日付当ブログ記事でも述べたとおり、今年になって韓国では、塩田などで障害者らが、無報酬で強制労働させられていた「奴隷事件」が発覚!
韓国が障害者を奴隷扱いする国であることがが世界中に知れ渡り、世界中から「そんな国でパラリンピックが開けるか!」との批判が巻き起こっている!
【国際】2018年に韓国で行われる平昌冬季五輪が、開催の危機に・・・「障害者強制労働国でパラリンピックが開けるか!」と世界中から批判
http://wjn.jp/article/detail/8401203/
平昌冬季五輪なんて論外 奴隷売買も発覚で猛バッシングの朴槿恵政権
掲載日時 2014年04月20日、週刊実話
'18年に韓国で行われる平昌冬季五輪が、開催の危機に瀕している。同国の塩田などで障害者らが、無報酬で強制労働させられていた「奴隷事件」が発生。世界中から「そんな国でパラリンピックが開けるか!」との批判が巻き起こっているのだ。
全国紙のソウル特派記者がこう明かす。
「事件発覚は今年1月。強制労働させられていた視覚障害者の男性が助けを求める手紙を送り、母親が警察に届けて2人が救出された。事態を重く見た朴槿惠大統領が一斉捜査を指示したところ、100人前後の被害者が救出され、19人の事業者が立件されたのです」
ソウル警察によれば、ホームレスや職業安定所に登録している障害者たちに、「いい仕事がある」などと人買いが言葉巧みに近づき、3万~10万円で塩田の経営者らに人身売買していたというのである。
「買われた障害者らは食事こそ与えられたものの、無報酬で朝から晩まで睡眠時間5時間程度で強制労働。視覚障害者は『怠けている』と罵倒され、角材や鉄パイプで殴打された。骨折した知的障害者は治療を受けられず足を切断。鞭で打たれ、『逃げたら殺す』と脅された者もいたそうです」(前出の特派記者)
障害者たちが働かされていた地域は韓国南西部の島で、交通網は船のみ。周囲の眼が届きにくかったのが原因とされるが、この事件発覚で五輪開催が危ぶまれているのである。
韓国事情通が指摘する。
「もともと韓国は儒教の国。身分階級の伝統があり、障害者に対する差別意識がいまだに凄まじいのです。例えば、障害者の車イスをわざとひっくり返して嘲笑するような教員もいる。今回の事件はそんな社会風土が生んだ犯罪だが、自ら徹底調査を指示した朴大統領は、事件の暗部が明らかになるにつれ、頭を抱えているという。事件が世界的に報じられたことで、パラリンピックを開催しても、ボイコットする国が続出しそうな雲行きなのです」
もはや韓国の威信は大崩壊。慰安婦問題を非難する前に、襟を正すべきだ。
復活、ポスト米英時代節
5・5に千代田区震源の震度5とか馬鹿でも分かる政治地震である、やはり世界は日本人が仕切らなければ駄目なのである。
http://www.asyura2.com/13/cult12/msg/892.html
投稿者 ポスト米英時代 日時 2014 年 5 月 05 日 10:52:45: /puxjEq49qRk6
おじさんタグラグビー日本代表のトライゲッターとしてオールブラックス多摩川代表とワールドカップというかグランド使用権
を賭けて闘い奇跡の大逆転トライを決めた時にダイブというかすっ転んだだけだがつき指で集中治療室に運ばれて一命をとりとめた
のは僭越ながら世界にとって幸運だったがその後ギックリ腰やら足首の捻挫やら不治の病を併発していた事も見つかりやっぱり
ラグビーはワンカップを片手に見学するもので自分がやるものではないと孔子のように悟ったところだがしばらくパソコンを離れて
いたら平仮名も入力するのが苦痛になり上半身も下半身も筆を折るしかないと覚悟をしていた所にふざけた政治地震が起こり早朝
キャバクラに行く気が失せて筆をとっている次第である。
その上にもう大日本タグラグビー協会専務理事は私のような素人がやるべきではないと入院中に辞意を伝えたが顔から飛び込んだ
果敢なトライが観客の感動というか笑いを誘ったようで今度は名誉会長を引き受けて是非オリンピック種目になった7人制ラグビー
を育てて欲しいという事になり金メダルを目指してグランドに足を運ぶ予定だったが今朝の地震で家が倒壊したので今日は休ませて
欲しいと連絡を入れて時間をこじあけて書いているところである。
入院を機に久しぶりに真面目に仕事をしていた関係ですっかりくそ真面目な文章しか書けなくて恐縮だが工業技術の文書を読むつもり
で我慢して読んでいただけたら幸いである。
また上述のようにもう絶対タグラグビーはやりたくないが町内会のじいさんばあさん達にジャパンを背負ってくれと懇願されては
私も断る訳にはゆかず職場の方も消費増税のあおりで欠陥品を笑顔で売りつけるという以前のビジネスモデルが通用せず窓際族のエース
である私がテコ入れする必要がありお客さんを気分よく騙す営業方法を開発するまではこんな調子である。
雨も降ってきたようでタグラグビーをさぼったのは正解だったようだがこの雨もたぶん政治降雨である。
そういう訳で我が家の猫もなにこの不自然な地震はという顔をしているが猫にもばれるショックドクトリン詐欺はおしまいである。
この半年ウルトラマンのスぺシューム光線のようなもので楽に連中を退治できるものはないかと悩み続けなかなか名案が浮かばず
キャバクラのトイレで首を吊ろうとしたりした事もあったがやはり首を吊るならストリップ劇場のトイレにすべきではないかと思い
直し今日まで頑張ってきたが案外連中を無視して日本人一人一人がそれぞれやるべき事をやり触るべきは触るという当たり前の生活
をするという普通に優る知恵はなく連中もそういう相手が一番やりにくいようである。
そんな訳で相手を撹乱する事で人類を支配してきた馬鹿を倒すのは日本人の普通力とスケベ力であり迷わず日々の仕事をこなし生活
を楽しみ連中が自滅するのを待つ事である。
馬鹿は無視されるのが一番こたえるのであり日本人はただ存在するだけで世界をホッとさせる存在であり今日も車ではなく自転車かも
しれないがお刺身にタンポポをのせるような簡単なお仕事かもしれないが家も買えない結婚もできない給料かもしれないがいつまでも
こんな馬鹿げた時代が続く訳はないから歯を食いしばりというか歯にレバにらか青のりでもくっつけながら白い歯というか虫歯だらけ
の歯をのぞかせて笑顔で頑張る事である。
日本人がKYな感じで勤勉に働いている限り世界は大丈夫である。
守られてござ候
守られてござ候
守られているナ。
言うまでもなく、独り善がりだがそれもご愛嬌なり。 この僥倖を素直に頂こうと思う。
無論、自覚などないが、惟神(かんながら)の道をひょっとしたら歩いているのかしら。
この心配性は――不安神経症だったっけ――湯たんぽでやってしまった低温やけどの足首に残った黒ずんで
ややへこんでいる傷痕に似ていて、見るたびにぼくをしてよみがえらしめる。 もう心配はいらないというのに。なのに、
過去と同じ場面に出くわすと又、条件反射的にまず身を構えてしまう後遺症を引きずっているのを思い知る。
だがこの頃はすぐさま、それを打ち消す強さがサッと出てきて 『ドンマイ、ドンマイ』と快活な心持で是正できるように
なったと感じている。
そうだよ。 それと符号するのだろうと思いあたることもある。
なんと、神棚に向かって、毎朝、二礼二拍一礼の儀をおごそかにも親しむようになったことである。
言うまでもなく量的飽和が質的変化を生ずる、いわば自然な流れがそうさせて、つまりは日常の自然な営みとなったわけだが、
なればなったで、こんな自然なしかし当事者にとっては有りがたい行為を、どうしてこの歳になるまで為そうとあるいは
為さしめようとする力が働かなかったかなと、(遅きに失したとは言わないが)わずかながら悔いている。
凡愚ゆえとおのれに帰するしかない。
でも守られているナと、又思う。
だからもう、先に逝きし亡き妻の愚痴は言わぬ。先に逝ったとか、まだ生き残っているとかは決して些末な出来事ではないが、
さりとて、やはりここまで生きてみて初めて感ずるわけだが、大騒ぎすることではない。
この世で、出会い、恋をし、結婚しただけで奇跡であり、それは何とも感謝すべきことなのだ。
たしかに神様から見れば、善人づらしているぼくは悪因悪業の数々を働いた不届きものだったのかもしれぬ。
わけても、妻に先に逝かれてからというもの、ついていなかった。
『ついていなかった』なんて言葉は他人様のせいにしているようでもあるし伝法で好きではないが、一言で言えば
ついていなかった=神様とは縁がなかった、という意味合いでは事実だから仕方がない。
そのついていなかったと自嘲気味に括る15年余もやっと終焉を迎えたようだ。やはり時間は救いだ。
自分の人生を幾時代に区分できるとしたら、まず最初に迷わず、この「ついていなかった」15年余は、さまざまな意味において、
ぼくには試練の時代と名付けるだろう。
文章構成法的に言えば起承転結の「転」の章であろうことは疑いない。
それは屁理屈ではない。だから頭ではなく、自然に心身でそう感ずるのだ。
そしてこれから述べるのは、ぼくの希望であり期待感ではある。
70歳から先は、ぼくは少年に還る。
ただし、かつての少年よりはいくぶんか老成した少年になっても萌えいずる新緑のごとき純情さでわが身を委ねよう。
再ならず三度、守られているナと感ずる。 かく書き綴っているが、この頃やっと本音というのか――逆説的になるが、
ややもすればその場の勢いに任せて結果的に心にもないことを書いてしまったことがたびたびあったが、その愚かさに
やっと気づき、己のウソに対して強く戒めるようになった―――素直に己をこのヴァーチャル世界に吐き出せるコツを
身につけつつあるのも幸いである。 とにかく己のなすことが、生きている歓びを織りなす縦糸横糸であれかしと願っている日々なり。